占星術の歴史

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名だたる有名占い師が得意とする
占い方法の一つ占星術。

しかし、それらはすべてが同じものではなく、
西洋占星術や東洋占星術など様々な種類があり、
得意とする占星術も人それぞれです。

今回はそんな占星術の歴史や、
種類ごとの特徴などを紹介していきます。

 

 

1. 占星術とは

占星術とはそもそもどういうものなのか、
知らない人のために基礎的な部分を書いていきます。

日中、私たちの世界を照らすのは、
『恒星』という天体に分類される星、太陽です。

太陽は東から姿を現し、
そして時間の経過とともに西へ沈んでいくもの。

しかし、それは決して私たちが立っている
地球の周りを太陽が回っているわけではなく、
地球が太陽の周りを回っているから、
太陽は動いているように見えるのです。

太陽の周りを回ることを『公転』と言います。

公転しているのは地球だけではありません。

火星や金星、土星や木星など、
様々な『惑星』が太陽の周りを回っているのです。

太陽と惑星、そして惑星よりも小さな
『小惑星』が集まって『太陽系』と言います。

占星術は太陽系の内側にある複数の天体の位置や動きを、
私たち人間や社会と結び付けて占う方法のことを言います。

その起源は古代バビロニアで行われた大規模な天体観測とされており、
当時は今と違って国家や王家の吉凶を占うための手段として使われていました。

その後、世界中に広がっていった占星術はそれぞれの地域で独自の発展を遂げ、
今では西洋占星術と東洋占星術の二つに大きく分けることができます。

次の章からは占星術の歴史を、
その後は色々な占星術ごとの特徴などについて書いていきます。

 

 

 

2. 占星術の歴史

先に言った通り、占星術の起源はチグリス川とユーフラテス川の間、
メソポタミア南部を占めていた古代バビロニアにあると考えられています。

そこから続く占星術の歴史は、
大きく6つの時代に分けられるのです。

その6つとは紀元前300年頃までの
『プロト占星術期(プロトとは原型という意味)』、
200年頃までの『形成期』、
300年頃から始まる『衰退期』、
1100年代から1500年代頃までの『復興期』、
1600年代から1800年代半ば頃までの『第2衰退期』、
そして1900年以降の『第2復興期』です。

 

2-1.プロト占星術期

現在、数多く存在する占星術の基礎となった
『プロト占星術』は古代メソポタミアの地、
そこで栄えた王国・バビロニアが発祥と言われていますが、
はっきりとした時期は分かっていません。

ただ、紀元前2000年よりも以前には、
すでに天体を神々の意志を知るための一種の予兆
(以降、オーメンとする)として見なしていた、
ごく初歩的な形の占いが行われていたのではないかと考えられています。

紀元前一九〇〇年頃から始まる古代バビロニアでも、
こうした占いは盛んに行われていました。

当時の記録からは鳥などの動物の振る舞い、
川や大地といった自然、上空で起こる様々な現象
「虹、雲の動きや状態、日食、日の出と日没」など、
あらゆるものがオーメンとして見られていたことも分かっています。

その中でも特に、
儀式の中で生け贄となった動物の肝臓の状態は、
最も重要なオーメンとして見られていたそうです。

オーメンの解釈はいくつかあり、
過去に起こった出来事の記録を基に考える場合と
(例えば、過去に日食のあとに洪水が起こったという記録があったので、
日食は洪水が起こる予兆なのではないかという考え方)、
見た目が似ているもの同士を関連づけて考える場合
(例えば、月の暈は王冠に似ていることから、
月の暈が見えたときは長い治世を表すのではないかという考え方。

ちなみに暈とは太陽や月に薄い雲がかかった際に、
その周辺に光の輪が現れる現象。

この場合は光の輪=王冠を上、
もしくは下から見た形が似ているということ)があります。

その考え方は粘土板(当時は紙がまだ無かったので、
粘土に文字を刻み、乾かすことで保存可能な記録物を作った)へと記録することで、
世代から世代へ、脈々と受け継がれていきました。

のちの占星術のプロトタイプとなる星を基にした占いは、
自然現象によるオーメンの一部であり、
記録の蓄積によって生まれたものであると考えられているのです。

オーメンの記録の集大成として知られるのが、
アッシリアという古代メソポタミアにあった王国の首都、
ニネヴェにある国王・アッシュールバニパルの古文書館で見つかった
「エヌマ・アヌ・エンリル」です。

紀元前七世紀に刻まれた、この最も初期のオーメンのコレクションは、
七〇〇〇以上のオーメンと天の観察が記された計七〇枚の粘土板から構成されています。

こうした天のオーメンと、
現代のようなホロスコープと呼ばれるものを作成したうえで、
天体の配置を基に行う占星術との間では、未だ大きな隔たりがあります。

ですが「エヌマ・アヌ・エンリル」のようなオーメンに関する文献と、
暦を作成するための当時の天文学的データとが結びついたことで、
のちの占星術の母胎となるプロトタイプが誕生したと考えられているのです。

実際にバビロニアの天文学では、
今日のいわゆる「黄道12星座」のもととなるものの基礎が作られています。

紀元前十数世紀頃の天文知識をまとめたものとして知られる記録「MUL.APIN」では今日の黄道(地球から見た太陽の方向を一年間分繋いで出来上がる太陽の見かけの通り道。黄道12星座はその黄道上にある12個の星座のこと。みずがめ座、うお座、おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座)にあたるものが、並行して走る三つの帯「赤道帯より北の周極星、赤道帯、赤道帯より南の周極星」によって表され、それぞれがエンリル、アヌ・エアといって神々の通り道だと考えられていました。

そして、それらは18等分されていました。

それが今の横道を12等分した黄道12星座となったのは紀元前五世紀頃で、
それを証明する記録として最も早いのが紀元前419年の粘土板です。

同じ頃、黄道を分割したサインによって惑星を位置づけ、
それが天体のオーメンとして取り入れられるようになったのです。

それを裏付ける初期の記録は現在、
オックスフォードのボトレアンライブラリー所蔵の
Suma-usurの息子の誕生日である前世紀410年1月13日の前後の惑星位置を
サインに基づいて記したものがあります。

これは最古の「ホロスコープ」だとしばしば言われていますが、
実際には現代の占星術師が作成するような、
円のなかに惑星を配置したチャートではありません。

単に惑星のポジションを並べ書きしただけのものに過ぎません。

そんなものを最古のホロスコープとしてみなしてよいかは、
「ホロスコープ」という言葉が何を意味するかによって意見が分かれるでしょう。

「ホロスコープ(horoscope)」という言葉は、
後のギリシャ語で「時」を意味するhoraと、
「観測者」を意味するskopos からなる
「ホロスコポスhoroskopos」に由来します。

この言葉は今のような星の配置図を指す語としてではなく、
特定の瞬間に東の地平線に上昇してくるサインを意味するものとして、
もともとは使われていました。

さらに紀元前3世紀頃からは、
惑星の出現の状況によるオーメンを記した、
いわばプロト占星術の理論的なテキストとも言うべきものが見つかっています。

そこでは、木星が現れるとき「金持ちになり、長生き」し、
土星が現れるとき「病気となり、不自由」となるといったような
現在の占星術における惑星の意味とほぼ重なるような解釈も見られます。
(一部、水星は「勇敢になる」、月は「利口になる」などの惑星の解釈が異なるものもあります)

このように、バビロニアにおける
天のオーメンから発達していったプロト占星術は、
その後、ギリシャへ伝わっていくことで、
本格的な占星術のシステムの確立へと向けて、
新たな展開を見せていくこととなります。

 

2-2.形成期

ペルシャ戦争後の紀元前5世紀には、
バビロニアとギリシャとの間で交流が盛んになりました。

しかしながら、バビロニアのプロト占星術をベースとして、
より本格的なギリシャの占星術が確立されたのは、
早くても紀元前3世紀以降ではないかと考えられています。

紀元前330年頃、アレキサンダー大王がギリシャを統一し、
エジプト、メソポタミア、ペルシャを含む近隣の地域を征服しました。

それによってシンクレティズム(異なる信仰などを結合・混合する。
あるいは様々な学派や流派の実践・習慣を混合すること)が起こり、
いわゆるヘレニズム文化の時代がはじまりました。

その中心地となったのが、
ギリシャの植民地であるエジプトのアレクサンドリアです。

そしてこのアレクサンドリアこそ、
プロト占星術から現代の占星術のルーツとも言うべき
ヘレニズム占星術を生み出す場所となったのです。

アレクサンドリアにおける占星術は、
すでに述べたバビロニアに由来する黄道と惑星に基づくオーメンに対して、
当時のギリシャの思想――エンペドクレスのエレメンツ、
ピュタゴラス主義者の数のシンボリズム、プラトンによる惑星の神性、
アリストテレスの地球中心のコスモロジー、ストア派の宿命論、及び共感の原理、
さらにはエジプトとギリシャ思想の融合とも言うべきヘルメス、
あるいはグノーシス派の魔術的=宗教的コスモロジーなどの
さまざまな要素が加わり発達していきました。

そして少なくとも紀元前1世紀頃までには、
惑星、サイン、ハウスといった現代の占星術の基本的な要素をもとにした
ホロスコープ占星術が確立されています。

とはいえ、この時代のホロスコープの解釈の方式は、
現代の標準的なものとまったく同じではありません。

そもそも正しいと言えるような標準的な方式自体が存在しないため、
占星術師はそれぞれ自分なりのやり方を自由に発展させるといった状況が生まれ、
当時の占星術理論は流動状態にありました。

紀元前 30年以後、
アレクサンドリアはローマの支配下となります。

キケロ(紀元前106年-紀元前43年)をはじめとする
懐疑的な知識人たちからの批判はあったものの、
やがて占星術はローマ人の間でも次第に受け入れられていきました。

特に、帝政を敷いたアウグゥストゥス帝
(在位紀元前27年-紀元前 14年)の頃になると、
占星術が宮廷のなかでも行われるようになり、
さまざまな政治的な意図のもとで利用されるようになってくのです。

アウグゥストゥスの後継者であるティベリウス(在位紀元前14年-37年)は、
宮廷占星術師を抱えた最初の皇帝としても知られています。

しかしながら、占星術師は宮廷で重用される反面、
その予言が社会不安を引き起こしたり、
民衆をいたずらに扇動したりするおそれがあったため
(皇帝の死、あるいはある人物のホロスコープから次期皇帝になることを告げるなど)、
妖術師や他の占い師などとともに、
幾度となく追放令が出されることも少なくはありませんでした。

はっきりとした時期は定かではありませんが、
おそらく15年頃のローマで完全な形で、
現存する最も初期の占星術の理論書的なものが書かれました。

ローマの詩人マニリウス(Marcus Manilius, 1世紀)の
『アストロノミカ(Astronomica)』という教訓詩です。

マニリウス以降、占星術に関する多数の著作が現れることになりますが、
なかでもアレクサンドリアの地理学者・天文学者である
クラウディウス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus, 83頃 ? 168頃)による
『テトラビブロス(Tetrabiblos)』(150頃)は、
後世にまで非常に長く影響を与えることになります。

 

2-3.衰退期

ローマ帝国末期へ向かうなかで、
占星術は長い衰退期を向かえることとなります。

コンスタンティヌス帝(在位 306 – 337)が、
312年にキリスト教に改宗してから、
ローマ帝国はキリスト教化していきました。

その後キリスト教が公認の宗教となったことで、
キリスト教の権力が確立されると同時に、
今度は教会による反占星術的な態度が強まっていきます。

テルトゥリアヌス(160-220)やオリゲネス(182-251)といった、
初期のキリスト教父たち、そしてなんといっても
聖アウグスティヌス(354-530)による占星術への攻撃は、
その後の教会のアンチ占星術の典型的な態度を形作っていきました。

教会が占星術を攻撃した理由には、
人間の自由意志を占星術の宿命論的な考え方が
脅かすという思想上の問題もありました。

ですが本音としてはそれだけではなく、
別の大きな要因として、当時の教会にとって大きな脅威となっていた異教、
あるいは異端的なセクトと占星術が結びつけて考えられていたという事実があります。

実際、当時の占星術に対する厳しい非難は、
しばしばグノーシス主義やマニ教などへの攻撃とセットになっていました。

その結果、占星術師は厳しい非難を浴びせられるようになっていったのです。

こうした教会による攻撃によって、
これまで非常に盛んだった占星術に、
やや陰りが現れてくるようになりました。

さらには西ローマ帝国崩壊以後に起きた学問の大きな衰退によって、
ローマにおける占星術は他のヘレニズム科学とともに
ほぼ完全なる消滅へと向かっていきます。

特に西ローマ帝国においては、5 世紀以降、
占星術に関しての重要な動きはほとんど見られなくなりました。

 

2-4.復興期

ヨーロッパにおける占星術が、
再びその姿を表しはじめたのは、
「12世紀ルネサンス」と呼ばれる時期です。

その間、かつてのバビロニア、
そしてヘレニズムの占星術の知識は、
サンスクリット語やアラビア語に翻訳され、
インドやアラブへと引き継がれていました。

11世紀後半から13世紀半ばにかけて、ヨーロッパの学者の手によってアラビア語、
及びギリシャ語の占星術の多くの著作が、
天文学、医学、数学、哲学などの他の諸学問とともにラテン語へと翻訳されます。

プトレマイオスの『テトラビブロス』も、
ティヴォリ出身のプラトーという学者によって1138年に翻訳され、
さらにこの時期アラブ最大の占星術師アブー・マアシャルの著書もラテン語訳されました。

また12世紀にはイタリアのボローニャやフランスのパリで、
現在の大学の礎が誕生しますが、やがてそこでも占星術は教育課目として、
組み込まれていくことになります。

こうして占星術はヨーロッパで再び学問的地位を
次第に取り戻していくことになるのです。

長い間、失われていた古代ギリシャの学問を
復興しようとする流れが続いた16世紀までは、
占星術の威信は揺らぐことなく大きく繁栄していきます。

もちろんその間も、キリスト教からの
占星術に対する反対がなかったわけではありません。

けれども、それは占星術が、
その教義を脅かすと考えられる場合だけでした。

たとえば、偉大なスコラ学者トマス・アクィナス(1225-1274頃)は、
キリスト教の神学と和解させることが可能な範囲で、
占星術を認めていました。

アクィナスは、占星術を天の星が、
地上の事物へ物理的な影響を与えるという意味での「自然占星術」と、
個人の運勢を判断する意味での「判断占星術」とに分け、
前者を肯定し後者を否定するという考えを見せたのです。

こういった考えを持っていたのはアクィナスだけではありません。

占星術の理論や細かなルールなどの矛盾を指摘し、
それを激しく攻撃する学者でさえ、
「星々が地上へもたらす影響」などという
「自然占星術」的な考えを完全に否定することはありませんでした。

実際に15世紀後半に、
ジョヴァンニ・ピーコ・デッラ・ミランドラ(1463‐94)によって書かれた
占星術批判の書『予言占星術論駁(Disputationes adversus astrologiam divinatricem)』ですら、
「自然占星術」的なものにはほとんど触れることはなく、
その徹底的な攻撃の矛先は、あらゆる種類の「判断占星術」へと向けられていました。

 

2-5.第二衰退期

17世紀に入ると「科学革命」と呼ばれる、
科学的世界観の大きな変化が訪れます。

それは占星術にとって、
おそらく今後も二度と後戻りすることのできない重大な転換点となりました。

これまで占星術がさまざまな観点から批判にさらされたとしても、
その地位を維持し続けることができた最大の要因は、
その理論体系がその時代の知識人たちの信じる宇宙観と大きく矛盾することなく、
そのなかに収まることができたからです。

ですが16世紀から18世紀に向かって、
コペルニクス(1473-1543)を代表とする科学者たちによる様々な発見、
そして新たな宇宙観は、占星術を支えていた宇宙像(地球を中心として宇宙を見るという視点)を、
過去の偶像として追いやってしまいました。

そもそも占星術の理論体系はどんなものであれ、
アリストテレス的な宇宙モデルを前提としたものでした。

したがって占星術も、
もはやその時代には通用しない過去の遺物として知識人たちの間では、
省みられることがなくなっても仕方がなかったのです。

特に「判断占星術」は、学問の対象ではなくなりました。

かろうじて生き延びたと言えるものがあるとすれば、
「自然占星術」的な側面(潮の満ち引きへの月の影響など)が、
新たな物理学の知の枠組みのなかへと形を変えながら
吸収されていったということになるでしょう。

しかし、ことイギリスに関して言えば、
いまだ17世紀には占星術の第2の衰退期における最後の輝きを
残す何人かの占星術師たちの活躍も目立ちます。

特にイギリス革命期において、
ウィリアム・リリー(William Lilly, 1602-81)をはじめ、
何人かの占星術師たちは政治的色彩の濃いパンフレットのなかでの占星術的予言によって、
当時の人々や社会への影響力を発揮し続けました。

また、1647年にリリーの書いた
『クリスチャン・アストロロジー(Christian Astrology)』は、
今現在も重要な占星術の古典として、
熱心な占星術師たちの間で読み継がれているくらいです。

いわゆる「啓蒙主義」の時代、
新たな知のパラダイムへと組み込まれることがなかったにも関わらず、
完全に占星術が消滅しなかったという点には注目すべきでしょう。

17世紀、そして18世紀に入ってもなお、
一般大衆向けのアルマナック、すなわち占星術的予言の書かれた暦は、
多くの人々の間で読まれ続けました。

学問としての占星術は死に絶えたと言っても過言ではありません。

ですが、主要な生息圏を学問から一般大衆へと移すことで、
占星術は生き伸びていったと言えるでしょう。

 

2-6.第二復興期

19世紀、活躍の場を一般大衆へと移した占星術に微かながら、
しかし確かな希望が見えてきました。

1816年、イギリスで一般向けに占星術のチャートの作り方と
解釈などを紹介したジェイムス・ウィルソン(James Wilson)の
『占星術の完全辞典(Complete Dictionary of Astrology)』が出版されたのです。

さらに1828年にはロバート・C・スミス(Robert C. Smith, 1795-1832)は、
ラファエル(Raphael)というペンネームで
『占星術のマニュアル(Manual of Astrology)』が、
そして1830年頃には『エフェメリス(ephemeris)』を出版。

1835年、ラファエルの友人でもあった
リチャード・ジェームス・モリソン(Richard James Morrison, 1795-1874)は、
ザドキエル(Zadkiel)のペンネームで、
前述のウィリアム・リリーの『クリスチャン・アストロロジー』を要約した
『ウィリアム・リリーによる占星術への招待
(An Introduction to Astrology by William Lilly)』が出版されます。

ですが占星術が本当の意味で新たな活力を取り戻したのは、
19世紀末、近代オカルティズムの潮流のなかを泳ぎはじめてからのことです。

特に「神智学」の形而上的な宇宙観という
新たな後ろ盾を得ることで、占星術はこれまでとは異なる
「秘教的」な衣装を身につけ、
やがて新たな次元を切り開いていくことになります。

なかでも、この時期を代表する神智学的占星術師としては、
セファリエル(Sephariel)のペンネームを使った
ウォルター・ゴーン・オールド(Walter Gorn Old, 1864‐1929)や
アラン・レオ(Alan Leo)のペンネームを使った
ウィリアム・フレデリック・アレン(William Frederick Allen, 1860-1917)がいます。

特にアラン・レオは、自ら最初の大きなオカルト本の出版社となる
「モダン・アストロロジー・パブリッシング(Modern Astrology Publisihg Co.)」を設立し、
一般大衆へ向けて占星術を普及させることに多大な貢献をします。

未来を予知するためのものだった占星術を、
神智学をベースにしながら心理学的なものへと変えていったのです。

それは今日にも続く「占星術の心理学化」とも言うべき最初の一歩であり、
後の占星術師たちに大きな影響を与えることにもつながりました。

アメリカでも世紀の変わり目あたりから、
何人もの目立った占星術師が現れはじめます。

20世紀初頭、エヴァジェリン・アダムス(Evangeline Adams,1868?-1932)、
C・C・ザイン(C. C. Zain)、マックス・へインデル(Max Heindel)、
レェウェリン・ジョージ(Llewellyn George)といった人々が活躍し始めるのです。

また1920年代頃から、いくつかの大手の出版社も
一般大衆向けの占星術に関する書籍や雑誌を積極的に出版しはじめます。

さらに1930年代になると、
多くの新聞に占星術による運勢判断がどんどん進出していきました。

実際、この時代の占星術師の成功の多くは、
こういった公共物の著作が主でした。

その一方で、この時代のオカルティズムや
メタフィジカルな思想を吸収することで、
占星術はより深みを増していくのです。

神智学者アリス・ベイリー(Alice Bailey, 1880-1949)の
「ヒューマニスティック占星術(Humanistic Astrology)」。

そしてベイリーの弟子のディーン・ルディア(Dane Rudhyar, 1895-1985)による
「サビアン・シンボル(Sabian Symbols)」を基にした占星術は、
この時代に登場した新たな占星術の分枝です。

ルディアの代表作とも言うべき
『パーソナリティーの占星術(The Astrology of Personality)』(1936)では、
占星術のすべては現代の深層心理学の用語のなかで再定義されるべきであると
述べられていることからもわかるように、ベイリーやルディアの秘教的占星術は、
アラン・レオからはじまった神智学の世界観を背景とした
「占星術の心理学化」の流れに位置づけられるものです。

他にも20世紀前半ば、占星術の理論は多様化し、
シリル・ファーガン(Cyril Fagan, 1896-1970)の「サイドリアル占星術(sidereal astrology)」、
ジョン・アディー(John Addey, 1920-1982)の「ハーモニック占星術(Harmonic Astrology)」、
アルフレッド・ヴィッテ(Alfred Witte, 1878-1941)の「ウラニアン占星術(Uranian Astrology)」など、今日にまで続くさまざまなスクールが生まれています。

1970年代になると、占星術は「ニューエイジ・ムーヴメント」の洗礼を受け、
「自己成長」や「自己探求」のツールと定義し直され、
出来事を予知するものとしての占星術本来の側面はかなり薄まっていきました。

かつての占星術の複雑な技法もシンプルなものへと切り詰められ、
手軽で安価な占星術の「ハウ・ツー」的なイージ・ガイドも多く出版されます。

それによって、単に占星術への関心を示すだけでなく、
実際に自分で占星術を学んでみようと思う人が増えていきました。

20世紀における人々の占星術への関心は
途切れることなくそれは今も変わりません。

21世紀のこれからも、たとえその形が変化していったとしても、
おそらく最もポピュラーな占いとしての地位は
揺らぐことなく保ち続けていくのではないでしょうか。

占星術の歴史を記述した文献は、
占星術師によるものからアカデミックなものまで、
さまざまなものがあります。

日本語のもので読みやすく非常に素晴らしい内容のものとして、
占星術の誕生から中世までの占星術の歴史が書かれている
矢島文夫著『占星術の起源』(ちくま学芸文庫、2000年)があります。

また、中山茂著『西洋占星術 科学と魔術のあいだ』(講談社新書、1992年)も
一般向けにわかりやすく書かれていて、
占星術の歴史にまつわるさまざまなエピソードを知ることができます。

専門的であるため占星術の知識がないと読みづらいですが、
バビロニアからルネサンス期までの占星術理論の発展の跡を辿った通史としては、
S・J・テスター著、山本啓二訳『西洋占星術の歴史』(恒星社厚生閣、1997年)。

英語の文献として一冊あげるなら、
読み物としても面白いBenson Bobrick, The Fated Sky: Astrology in History, Simon & Schuster, 2005が
オススメ枠として挙げられています。

 

 

 

3. 東洋占星術と西洋占星術

3-1.東洋占星術

東洋占星術は西洋占星術が東アジアや中国へと渡り、
独自の発展を遂げたものです。

それに加え、西洋占星術がインドに渡ったことで独自の発展を遂げた
インド占星術も東洋占星術には取り入れられています。

一方で東洋占星術は総称でもあり、
九星気学や四柱推命などの様々な占術も東洋占星術には含まれています。

東洋占星術と西洋占星術、そのどちらも地球上全ての存在は、
宇宙の中の一つであるという考え方にはかわりませんが、
当然異なる部分もあります。

占星術が広まっていく中で、
発展する地域によっては自然に対する考え方が違ったのです。

西洋占星術では万物を生成する要素は、
4つの元素「火」、「水」、「地」、「風」であると考えられています。

しかし東洋占星術は陰陽五行説をベースに、
「陰」と「陽」の2つの概念に加え、「木」、「火」、「土」、「金」、「水」の
5つの要素が万物を生成していると考えられているのです。

 

3-2.西洋占星術

「ある瞬間」の星の位置が、そのとき地球上で起きた出来事や、
その時生まれた人々に何らかの影響を与えているという考え方のもとに、
「ホロスコープ」という星の配置図を作成、
そこから運命を読み解く占いが西洋占星術です。

「あの星が見え始めたら、種まきの時期だ」などというように、
星は昔の人々にとって生活するうえで欠かせないものでした。

だからこそ、占星術の歴史について紐解いた時に述べたように、
人々は物事を星の動きと関連付けるようになったのです。

そして未来を予知するために「占星術」が生まれたのです。

17世紀までは天文学と占星術は表裏一体な面もありましたが、
科学が発展してくると同時に「天文学」と「占星術」は切り離されるようになりました。

ですが占星術はその後も心理分析のツールとして扱われ、
「心理占星術」なるものが生まれたり、面倒な計算を必要としない
「12星座占い」が生まれたりするなど、様々な形に姿を変え、
私たちの生活に浸透しています。

世の中の流れ、日々の運勢、気になる相手との相性、
あるいは自分自身の心の中や未来に起きそうな変化など、
あらゆる事柄占うことができるのが西洋占星術です。

 

3-3.東洋占星術と西洋占星術の違い

両者の違いは時間の概念でもあてはまります。
西洋占星術では、今この瞬間の星の配置は一度きりで、
2度と同じ星の配置は訪れないと考えられています。

ですが東洋占星術では暦は一定のサイクルを繰り返し、
季節は巡ってくるという考え方があります。

時間を一方通行の一本の直線として捉えるか、
それとも輪っかのように繋がっており循環するものとして
捉えるかという文化の違いが見られるのです。

当然、東洋占星術と西洋占星術ではその占い方も違ってきます。

西洋占星術はホロスコープを用いて、
天体がどの位置にあるのかを計算します。

そこから天体と星座の位置関係を見ることで、
人間や物にどのような影響を及ぼしているのかを占うのです

対して東洋占星術は天体にある星の動きを読むのではなく、
人体星図と呼ばれる命式を、対象者の生年月日から割り出すことで占います。

そしてその星をもとに、
その人の運命や宿命を知ることができるのです。

日本を発祥とする様々な占いのほとんどは、
東洋占星術をベースにして作られたものが多いです。

東洋独自の文化を吸収することで斉唱したと言っても過言ではありません。

日本で生まれ育った方には体質的に、
東洋の文化をふんだんに盛り込んだ東洋占星術の方がオススメです。

東洋の風土にあった占いですので、
西洋占星術では期待した結果が出なかった人は試してみるのも良いでしょう。

種類も様々ですので自分に合った占いを見つけましょう。

 

 

 

4. インド占星術

インド占星術は、空に見える星々を中心に使うという点で、
西洋占星術と多くの共通点があります。

特に12星座占いは西洋占星術がもとになっています。

そのため両者は兄弟のように似通った部分が多くあります。

ですがそれと同じくらい、実は違う部分もあるのです。

その中でこれだけは決定的に異なるという点を挙げるとするならば、
それは12星座のシステム面でしょう。

西洋占星術もインド占星術も同じなのではないか、
そう思う方もいらっしゃるはず。

確かに12星座、それぞれが持つ意味については多少の違いはあるものの、
その大部分は共通しています。

違いと言えば同じものを右から見るか、
左から見るかのような違いがあるだけです。

ではどこが大きく違うのか、
それは牡牛座の始まる位置が異なるという点です。

簡単に説明すると西洋占星術では、
毎年春分の日に太陽のある位置を牡牛座の始まりとし、
天空を30度ずつ均等に分けて12星座を割り振っています。

これをトロピカル星座帯と呼んでいます。

下の図の内側にあるオレンジで書いて部分が、それにあたります。

 

図1

引用:http://jyotish.michiyuu.info/wordpress/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93%E5%85%A5%E9%96%80%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E3%80%80%E3%83%91%E3%83%BC/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93%E3%81%A8%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93%E3%81%AE%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E7%9A%84%E3%81%AA%E9%81%95%E3%81%84/

その一方で、インド占星術では実際の空にある牡牛座そのものを始まりとし、
そこから天空を12分割し、12の星座を決めているのです。

これをサイデリアル星座帯と呼び、
図の外側、水色のものがそれにあたります。

この2つの星座帯には現在、およそ24度の差が生じています。

そのせいで多くの方が知っていた太陽の星座が、
インド占星術においては1つ前の星座に変わるのです。

このように2つの占星術には星座帯が異なるという大きな違いがあるのです。

その違いがどのような変化をもたらすのか。

それは西洋占星術では知りえなかった
あなた自身の隠された本質を深く見ていくことが、
インド占星術を活用することで可能なのです。

 

 

 

5. 星々が持つ意味

占星術で取り扱う星=惑星にはそれぞれの解釈があります。

占星術の種類が多いため、
その全てに対応した解釈をここで書くことは出来ませんので、
基本的なものを挙げようと思います。

星には様々な意味や解釈が存在します。

この章ではその内容を簡単にまとめてみました。

太陽:自分らしく生きるためのパワーや自身の成長、目標を示します。

これは貴方自身の個性の根本となる部分です。

恋愛面では貴方の魅力を認めてくれ、
且つ尊敬できる相手との出会いを暗示します。

太陽の力が発揮された場合は、貴方の能力や個性が評価され、
充実した人生を送ることができるでしょう。

月:本能といった無意識に出る心の動きやクセ、
理性では抑えることの出来ない感情や情緒を示します。

恋愛面ではロマンティックな感情を示す一方で、
その敏感さゆえに一言一句が過敏になりがちです。

月の力が発揮されれば、貴方の情緒は安定していき、
やがてプラスの感情が芽生えるでしょう。

水星:知性や才能、生まれ持った素質を表します。

またコミュニケーション能力や言語といった類も司ります。

恋愛面では都会的でスタイリッシュな恋人ができることを暗示しています。

水星の力が発揮されると才気煥発(才能があふれ出すこと)となり、
色々な人とのコミュニケーションが上手くいくようになります。

金星:人の喜びや恋愛の形を示します。

また、美的関心や生活上の楽しみ、
そして喜びが満たされるときを表しています。

貴方がどんな恋愛傾向を持ち、
どんな人を受け入れるのかが金星から分かります。

恋愛面では愛される、
もしくは愛することの喜びや出会いのチャンスを示します。

火星:火の漢字を使っているように、
この星は満ち溢れる強いエネルギー、
アクティブさや大胆さといった行動力を表しています。

火星の力が発揮できれば目標に対して、
常にポジティブな状態で取り組むことが出き、
やがて成功させることが可能です。

恋愛面では情熱的に相手を欲したりするような、
情欲的な関係を示します。

力任せにならないように注意すべきときでもあるので気を付けましょう。

木星:幸福の星とされています。

金銭的にも恵まれ、また恋愛面でも信頼できる相手との
出会いや結婚に恵まれるなど良いことを示します。

この星の力が発揮されれば自身の力で運をつかみ取り、
それを発展させられるようになるでしょう。

土星:制限と限界を表し、貴方自身の気持ちが
萎縮したり制限をかけられたりすることを示しています。

アイデンティティ(個性)に自信が持てなくなったり、
これまで出来ていたことが急に難しく思えたりするでしょう。

ですがそれは貴方に課せられた試練です。

自分の人生に対して真摯に向き合いましょう。

恋愛面では二人の関係が大人同士の成熟した関係に発展し、
その仲がより親密で深いものになることを示します。

天王星:変革と革新を表します。

貴方の人生に大きな変化が生る、
もしくは自身の人生を大きく変えたいという気持ちが募ってくることでしょう。

もしかすると今までの人生を退屈だと感じるようになるかもしれません。

恋愛においてはハプニングから始まる突然の出会いや
エキセントリック(風変わりなさま)で、
ちょっと変わったユニークな人との出会う可能性を示しています。

海王星:イマジネーション(想像)とロマンの星です。

何かに夢中になれたり、
夢心地になったりするようなことが多くなるでしょう。

またスピリチュアルなこと(霊的、神秘的なこと)への関心が深くなる、
想像力が豊かになる、アートへの関心が深まるといった可能性が高くなります。

冥王星:深い無意識からの欲望を象徴する星です。

物事を根底から破壊し、再生するパワーを表しています。

他にも嫉妬や憎悪といった負、
もしくは闇の感情や心の奥底にある魂の変容なども表しています。

恋愛面では宿命的な出会い、
性的魅力を持った人と関わるようになる可能性があります。

如何でしたでしょうか。

このように1つひとつに意味があり、きちんとした解釈があるのです。

 

 

 

6. ホロスコープを使って運勢を見る

ホロスコープとは占星術で用いられる、
円を占う対象となる人の生年月日や生まれた場所の緯度や経度によって
十二分割した図のことを言います。

分割された枠の1つひとつをHouse(ハウス)と呼び、
そこへ星座や惑星などの占う上で必要な情報を書き込むことで
ホロスコープは完成するのです。

最近話題の鏡リュウジがあつかう彼独自の西洋占星術は、
3種類のホロスコープを組み合わせることで、
運勢など様々なことを占います。

その3種とは、未来を読み解く「ソーラーアークホロスコープ」、
現在の星の動きを指し示す「トラジットホロスコープ」、
そして貴方が生まれたときの星の位置を書き込んだ「ネイタルホロスコープ」。

ネイタルホロスコープは貴方自身が持って生まれた宿命や運命、
性質を色濃く指し示します。

このホロスコープによって、
他の2つにホロスコープから読み取れる内容や解釈が全く異なるため、
ネイタルホロスコープは3つの中でも最も重要な基盤としての役割を果たします。

ソーラーアークホロスコープとは、
太陽の1日に動く平均的な距離を実際の1年に対応させて、
他の惑星も同じように動かすというものです。

太陽は自ら回転(自転)しているだけではなく、
太陽も周りの惑星と同じように公転しているのです。

ですから太陽を中心として公転する地球や火星を含む太陽系は、
実は宇宙空間を動いているのです。

例えば、25歳になった貴方を占う場合、
歳と同じだけの日数、つまり25日分の動いた度数を太陽に足し、
他の惑星にも足して鑑定するという訳です。

そうして動いたソーラーアークホロスコープの惑星と、
ネイタルホロスコープの惑星とのアスペクト(惑星間の角度)を分析することで、
現状と未来を占うことができるのです。

トラジットホロスコープは本人の性格や周囲の環境、
自らの立ち位置といったものの「変化」を指し示します。

ネイタルホロスコープが個人を表すのに比べ、
このホロスコープは個人に影響を及ぼす外的要素を教えてくれるものです。

トランジットホロスコープでは、
公転するスピードの遅い天体から読み解いていきます。

何故ならば公転速度が遅い惑星ほど、
与える影響力は強く、深いものになるからです。

因みに公転とは惑星が他の惑星、
もしくは太陽の周りを回転することを言います。

このように、占星術とは惑星や星座を知ることではなく、
星同士が導き出すメッセージを読み解くことがメインとなっています。

月が貴方の無意識的な部分となる本能などを表すのに対して、
太陽は貴方の目標値や意識的な部分を表します。

それぞれの天体の解釈や天体同士の角度、
そしてそこから生じる影響など読み解くことで、
貴方自身も知らない貴方のことを知ることが出来るのです。

そこから気になる人との今後の関係など、
様々なことを紐解くことが可能なのです。

 

 

 

7. まとめ

今回は占星術を取り上げてみましたが、
如何でしたか?

歴史など、専門的な分野の話も多かったので難しかったと思います。

私自身、占星術という分野を理解するのになかなか時間を要しました。

ですがそれだけの歴史が、
占星術というものには詰まっているのです。

そこに科学的な根拠はないかもしれませんが、
長い時間をかけて積み上げられてきた占星術の歴史は、
過去の人々の遺産でもあります。

そんなものが、特別な力を持たないわけがないのです。

あなたも是非、
一度占星術の力を目の当たりにしてみては如何ですか?

 

 


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